スタッフインタビュー(吉元 美沙)

吉元 美沙

📌こどもの居場所づくり事業部
『地域での子ども支援に情熱を注ぎ、親でも教師でもない存在として寄り添う』
ーーNPOこどもサポート・みんなのおうちに就職するまでの流れを教えてください。
<幼少期>
元々1人っ子だったので、幼いころから、小さい子と関わることが大好きでした。かかわることというより、お世話をするのがすきでしたね。そんなこともあり、町内会や自治会に借り出されて、地域の小さい子たちの面倒をよく見ていました。小学6年生のころ、親が子ども会の会長をしていたこともあって、熊本市子ども会育成協議会ジュニアリーダーの2泊3日のキャンプに参加しました。そのキャンプは、中高生で構成されているジュニアリーダーが主体となって、企画・運営を行っているものでした。キャンプ中、その当時のチーフ(部活でいう部長的な立ち位置)の人が、たくさんの小学生に対して、またほかのジュニアリーダーに対して、指示していたり、みんなの前で楽しそうに話している姿を見て、かっこいいな、こんな人みたいになりたいなと思うようになりました。そして、中学生になった4月、熊本市育成協議会ジュニアリーダーになりました。
<中高生時代>
ジュニアリーダーでは、熊本市内の子ども会から要請があったイベントに出向き、1時間程度のレクリエーションを行ったり、夏の2泊3日のキャンプの企画・運営を行ったり、動植物園でイベントを行ったり、火の国祭り総踊りにみんなで参加したり…といろいろな活動を行いました。時には、九州大会・指定都市大会などの他県のジュニアリーダーとの研修会に参加するなど、日本全国に出ていくこともありました。そんな活動を、中学1年生から高校3年生までの6年間ミッチリやってました。時には、受験勉強でお休みすることもありましたが…
中でも、高校1年生の9月~高校2年生の8月末まで、サブチーフ(部活でいう副部長的な立ち位置)を務めたことも印象的です。この期間は、自主的に同じ学年の同期たちと週に3日ほど熊本市内のマクドナルドに集まって、毎月の定例会に向けた準備や資料作成、イベントに向けての準備などもしながら、どうしたらジュニアリーダーが増えるのか、どうしたら定例会の参加率が上がるのかとは…自分たちの役割とは…など、愚痴も交えながらいろんな話をしていました。そんなふうに試行錯誤しながらも、自分たちなりに集団を作り上げていくことって楽しい!面白い!そんな風に思ってましたね。
そこから、将来を考えていく中で、やっぱり子どもと関わることができる仕事がしたい!と思い、子どもと長くかかわることができる仕事といえば、小学校の先生だ!となって、教育学部のある大学を志望するようになり、実際に琉球大学教育学部教員養成課程へ入学しました。
<大学時代>
大学に入った当初は、教員になるために1年生の時から、教員採用試験の対策本を買って取り組んでいました。でも、実際には教員にならずに、このみんなのおうちで働いているのですが…(笑)なぜ、教員にならなかったのかというと…『自分は教員を目指したいわけではない』と思った出来事がいくつかあるのですが、そのうちの1つが公立小学校に行った際の出来事です。大学での授業の1つで、公立の小学校に1週間に2コマの授業の補助に行く機会があったのですが、そこで衝撃を受けたんです。小学1年生のクラスで、立ち歩いている子が4~5人、居眠りをしている子が4~5人…そんな状況で、授業が成立していなかったんです。先生は、ベテランの先生なのに…です。どんなに、ベテランの先生でも、こんな状況になることもあるんだ…と衝撃を受けました。ですが、その先生から聞いたことがもっと衝撃でした。「立ち歩き、居眠りしている子たちは、朝起きたら親がいなくて、だからごはんを食べてなかったり、親が帰ってくるまで起きて待っていたり、だから親に甘える時間がなかったりするんです。」沖縄だから、とかそういう言葉では片付かないというか…自分が生きてきた環境の中では気づかなかっただけなのかもしれませんが…今の日本の子どもたちには、学校だけでは支えられない現実があることに気づかされました。だからこそ、地域でこどもたちを支えていける社会であるべきだし、自分もその社会を作っていきたいと思うようになりました。
大学3年生の夏休みには、附属小学校での教育実習もあり、5コマ授業をおこないましたが、やっぱり教員ってすごいなとも思いました。ですが、自分自身のメンタルや体力的にもたないかも…とも思い、自分は教員ではないなと明確に思ったことを覚えています。
そんなこともあり、大学3年生の冬に、就活を始めました。私が通っていた大学の教育学部では一般企業等の就職は珍しかったので、どう就職活動をすればいいかもわからず、とりあえず就活アプリを入れてみよう、と思って大学3年生の1月ごろリクナビのアプリを入れて、一般企業とかで教育系なら「学童」「保育園」とかなのかな~…でも違うな~…と思いながら、しばらくは流し見してましたね。そんなときに、学童でヒットしたのが、この``NPOこどもサポート・みんなのおうち``だったんです。「こどもの居場所の立ち上げに従事するスタッフを募集しています」とあり、ここかもしれない!と思い、3月末にあった法人説明会に参加しました。当時はコロナウイルスが流行りはじめで、かつ沖縄に住んでいて、説明会の情報を見つけてから2週間もない中で、飛行機もとって弾丸で熊本に帰る決断をしたんですよ…今振り返ってみて、すごい思い切ったなと思いますが…(笑)それで、説明会に参加すると、1人だったんです。「え~!!そんな感じなの?!」とびっくりしましたが、マンツーマンでいろんなお話を伺えて、質問もさせていただいて、手厚かったなと思います。その説明会で、理事長から直接居場所作りについてのお話を伺って、このNPOこどもサポート・みんなのおうちで働きたい!居場所づくりがしたい!と思うようになりました。
 
ーーこども第三の居場所COCO-Zを立ち上げて4年目。なにか気づいたことはありますか?
今は、こどもの居場所「こども第三の居場所COCO-Z」を理事長の江口さんと一緒に二人三脚で立ち上げて、4年目になります。立ち上げは、何もないゼロのところからのスタートだったので、大変だったなとは思います。でも、楽しかったの方が強いですね。理事長の江口さんと、まずは、居場所って?というところから話し合い、じゃあどんな場所にする?名前は?ロゴは?なにから始めてみる?などなど、すこしずつ少しずつ ここーずを作り上げていきました。時には、大津町内の中学校・高校にアンケートボックスを設置させてもらい、居場所に必要なもの・設備のアンケートも行いました。そして、ピザづくり体験のイベントを行ったり、地域食堂を始めたり…いろいろなことをやるうちに、こどもたちも少しずつ来るようになって、ここーずの専有面積も広くしてもらって…と運営してきました。このいろいろなことをあーでもないこーでもないと試行錯誤することが、ジュニアリーダー時代の経験と似ていたなと振り返ってみて感じたんです。この時に、私って、この同じ目標を持った仲間と一緒に、試行錯誤しながら少しずつカタチにしていくことが好きなんだなっていうことに気が付きました。
 
ーーここーずを運営している中で大事にしていることはありますか?
ここーずでは、先生ではなくスタッフと言っています。こどもたちにそれぞれ名前があるように、大人にもそれぞれ名前があるし、名前を呼んでほしい、こどもも大人も1人の人だよね、という共通認識のもと、スタッフそれぞれに呼んでほしいニックネームを持っています。そんな私は、みさっちと呼んでもらっています。でも、少しずつ みさ と呼ぶ子が増えている気もしますが(笑)でも、みさっちと決めているから、絶対にそう呼んでほしいとかはなく、私とこどもたちそれぞれの関係性の中で心地よく感じる呼び方であればなんでもいいんです。呼び方を変えながら呼んでくれることって、私との距離を詰めようとしていたり、逆に離れようとしたり、そういうことも感じ取れると思っています。そんな呼び方からでも、こどもたちとの関わり方を探っていますね。そこで感じ取ったことをもとに、感覚的に、ですが、その子に合った距離感で、声のかけ方で、それぞれの子にナナメの関係を築くようにしています。タテの関係であれば、親とこども、また学校の先生と児童・生徒のような上下関係、ヨコの関係であれば、友達同士などの平等な関係なのですが、あえてこの2つではない、上下関係があるわけでもないんだけど、平等な関係でもないというナナメの関係が大事だと考えています。親でも学校の先生でもない地域の大人がであることで、親には話せない悩みを話せたりもするし、でも他愛もない話もしたりしています。そんな関わりを続けていくことで、地域の子どもたちとの信頼関係を築いていき、なにかあったら頼ろうと思ってもらえる場所にしています。こんな風に、地域の中に親でも学校の先生でも友達でもない大人がいることで、子どもたちにとっては、今までにない価値観にも出会えるのかなとも思うんです。もしかしたら、おせっかいな大人にもなっているかもですが…(笑)
こども第三の居場所COCO-Zだからこそ、おせっかいな大人として関われるのだと思っています。今の時代は、そんなおせっかいな大人が~
 
~地域に波及できる場所にしていくことが現時点での目標です。まずは、地域のこどもたちにおせっかいになれる大人が増えて、継続的に関わりあえる関係性を増やしていくことで、みんなのおうちの目標である「子どもが自分のことを大切にされていると実感できること」が実現できるのではないかなと考えています。
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